ヨーロッパ人到来以前のハワイ
ハワイは「発見」を待っていた無人の島々ではありません。ポリネシアの航海者はヨーロッパ人より何世紀も前に到達し、現在の考古学的証拠では、おおむね西暦1000〜1200年頃に定住が始まったと考えられています。農業、漁業、養殖、航海、資源管理の高度な仕組みが発達し、ahupuaʻa(アフプアア)は山から海までの資源を一体として管理する土地単位でした。
アリイ、カプ、変化する社会
aliʻi(アリイ、首長層)が政治的権威を担い、kapu(カプ)は宗教・社会・政治生活を形づくりました。ハワイ社会は西洋との継続的接触以前から交易、同盟、競争、技術の導入を通じて変化していました。
クック来航と急速な変化
1778年のジェームズ・クック来航は、一般にヨーロッパ人との最初の記録上の接触とされます。クックは1779年にケアラケクア湾で衝突の末に死亡しました。その後、外国貿易、外来感染症、武器、宣教師、国際的な商業勢力が急速な変化をもたらし、とりわけ感染症による先住ハワイアン人口の減少は甚大でした。
カメハメハとハワイ王国
カメハメハ1世は戦争と同盟で多くの島を支配し、1810年にカウアイ島のカウムアリイがその権威を認めたことで主要島の政治的統一が完成しました。ハワイ王国は国際的に承認され、外交関係と条約を持つ主権国家でした。1819年のカメハメハ死去後には旧カプ制度が崩れ、1820年にプロテスタント宣教師が到来しました。
立憲君主国と高い識字率
19世紀の王国は憲法、成文法、学校、新聞を発展させ、ハワイ語による高い識字率を実現しました。グレート・マヘレとその後の土地法は土地制度を大きく変えました。この時代を単なる「米国統治への前段階」として見ると、独自の制度・市民・外交を持った王国の実像を見失います。
リリウオカラニ女王の打倒
1893年1月17日、米国・欧州系の事業利害を含むグループによってリリウオカラニ女王が打倒されました。米国公使ジョン・L・スティーブンスは臨時政府樹立前にホノルルへ米軍を上陸させていました。グロバー・クリーブランド大統領は後に経緯を批判し女王復位を求めましたが、臨時政府は拒否し、1894年にハワイ共和国が成立しました。
併合、準州、州昇格
米国は1898年にハワイを併合し、1900年に準州、1959年8月21日に住民投票を経て50番目の州となりました。州昇格後も、先住ハワイアンの政治運動や土地・水・自己決定をめぐる議論は続いています。
ハワイアン・ルネサンス
20世紀後半から、ハワイ語、フラ、伝統航海、音楽などの文化復興が力強く進みました。航海カヌー「ホクレア」は、計器を使わない伝統航法の復興と、ハワイとポリネシア世界の結びつきを象徴しています。
旅行者にとっての意味
地名、ヘイアウ、養魚池、王室史跡、主権を示す旗は、この歴史を知ると見え方が変わります。聖地や史跡を撮影背景としてだけ扱わず、先住ハワイアンの解説に耳を傾けてください。具体的な行動はエチケットガイドで紹介しています。